2004.5.1 |
仲間と茂木のDe耐に出場しました。今回はライダー4名(徳生太郎/第四ライダー&メカニック、吉田一茂/第一ライダー、佐賀匡将/第二ライダー、中山蛙/第三ライダー)とピットクルー2名(佐々木正和、佐賀ともよ)の体制です。 |
7時間耐久なのですが、給油ストップは10分以上のレギュレイションのため、実質は6時間耐久です。しかも1回の給油量(スタート時も)は3リッターと決められているので、一人が3リッターを使い切るまで(タンクを改造してデッドスペイスを無くしたため、リザーブになったら一周しかもたない。リザ-ブになったらその周にピットイン)走っては交代とし、第一・第二ライダーは二度、第三・第四ライダーは一度の走行で、チェッカーとなる予定です。 |
毎給油ごとにライダーの走り方で、周回数は変化します。第一・第二ライダーの二人は、タイムも速い分、燃料消費も大きく(特に今回の第一ライダーは)、だいたい19周でした。僕は、あまり無理をさせない走行なのか、21周できました。ピットに帰ってからそれを聞いて、もう少し無理して(ほとんどトップギアのままで周回するのですが、もっと要所要所で一速落としても、燃費的には充分だったようです。僕の乗り方だと、茂木の場合、第三コーナー、トンネル入り口、ビクトリー、バックストレイト前のヘアピンは、一速落とした方が速いんです。)も良かったのかなと思いましたが、結果的にはここでの一周分の差は、大きかったので、これで正解でしょう。 |
というのも、給油がほかのティームは6-7回なのですが、僕たちは可能ならば何とか5回の給油で走れたら、と、考えていたのです。各ライダーが20周できたら(前日の公式練習では、19周の燃費でした)丁度ゴールできるとという目論見でした。 |
これは、第四ライダーのときに5周にわたってフルコースコーションとなったおかげで、燃費よりも「時間」がかせげたので、ただの可能性が俄然現実味を帯びてきました。そこで、僕が稼いだ21周も貢献し、燃料を言葉どおり丁度使い切って終わりました。 |
最終的な着順は7位(最後の数週、燃料が危うくなりそうでペイスダウン。おかげでその間に2台に抜かれてしまいました。でもそこで無理をしていたら、チェッカー前に停車してしまった可能性大)で、レイスの順位としては同着3位(周回数で順位を決めるため、1位が2ティーム、2位が3ティーム、3位が2ティーム)というリザルトでした。 |
我々の戦闘機は、ドリーム50にパワーソースをAPEのエンジンに換装したマシン。エンジン本体はノーマルのまま、吸排気のみ変更で、車体はリアサスをドリーム50Rのものに変更しただけという状態。 |
走っている間は殆ど前屈したままで、首だけ前に向けているキツイポーズ。首がかなり痛い。しかし、翌日と翌々日は体中が筋肉痛。 |
立ち上がるたびに「よっこいしょ」と声には出さなくても、あっちこっちがギシギシと悲鳴をあげてました。 |
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